定住アドバイザー

定住アドバイザーとは?

定住アドバイザーだから言える、とうみのホントのところ。

東御市に移住を検討しているけれど、
移住先での生活習慣や、人間関係などに漠然とした不安を感じ、生活が全く想像がつかない…

東御市に移住してきたけれど、
これまでの生活習慣の違いになれないし、相談先にも困っている…

そんなとき、実際に県外から東御市へ移住をしてきた定住アドバイザーが、相談にのります!
定住アドバイザーは実際に県外から移住してきた市民の方々。
移住をしてよかったことだけでなく、大変だったことも包み隠さず伝えてくれます。
東御市に来ていただいた際には、定住アドバイザーのみなさんが市内をご案内いたします!

そんな定住アドバイザーのみなさんの移住体験談を紹介します、
この体験談を見て、ビビっと来た!会ってみたい!という方。移住相談窓口までご連絡ください。

児玉 俊一 さん

 

和地区に重厚な外観を呈す「児玉家住宅」。養蚕が栄えた時代に立てられた大規模住宅です。
国の登録有形文化財でもあるこの住宅に住むのは、横浜市から移住してきた児玉俊一さんです。

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移住したきっかけを教えてください。

生まれたときから現在の住所に本籍はあったのですが、父の銀行勤務の関係で全国を転々としていました。この地に住む経験がないまま会社勤めが始まり、定年を過ぎても「ここに住むこと」について明確なプランはありませんでした。
しかし、ヴィラデストワイナリーの玉村豊男さんからここ(児玉家住宅)の蚕室をワイナリーにしたら面白いのでは?といわれ、ワイン用ぶどうの栽培を進められました。当初は週末に農夫をやりに来ようと軽い気持ちで始めてみたら「これは住んだほうがいい」ということになり、東御市に住民票を移しました。

農業をするにあたって感じることは。

ワイン用ぶどうはそんなに難しくないと思っています。ただ巨峰はとても大変。手間がかかりますね。巨峰での新規就農の方々は本当にがんばっているなあと思います。巨峰で大変な時期は夫婦や親戚総出でやっているようですね。バタバタやっていれば気がまぎれるだろうし。どちらにしても、巨峰やワインは夫婦や家族でやるのがおすすめですね。
ワインを勉強するなら、千曲川ワインアカデミーはおすすめです。私も通っていますが、ものすごい価値があると思いますよ。日本でも有名な超一流の先生がそろっていますから。

とうみのよさはどこにあると感じますか。

やはり食べ物が美味しいことでしょうか。その美味しいものがお菓子にもなっていることもいいですよね。
あとは自然が豊かだし、景色が良いですよね。八ヶ岳と蓼科が正面に見えるなんて、景色のご馳走だと思います。
北御牧地域からみるこちらも美しいです。南斜面で、風光明媚な場所だなあと感じます。
あと、高速のインターチェンジが近くにあるので都心との距離が苦にならないことは良いことだと思います。

寒さに関しては、暖房があるので寒さを感じることはありませんね。天気がよくて日が入ってくるのであたたかいですし。
雪が降ったとしても雪深くなることはないし、チラチラと雪が降っている景色もすごくきれいですよね

土いじりをしたいと考えているひとには、東御市はお勧めです。野菜も美味しくできるし、お花もいきいきと育ってくれます。
都会の雰囲気を味わいたいとおもえば、すぐにワイナリーに行くことができます。
田中駅や上田駅の周辺にも美味しいフレンチや、お蕎麦屋さんなどがあるので、気分転換に車ですぐ行くことができます。ショッピングセンターもありますし。ですので、車はあったほうが良いと思います。

地域とのかかわりはどんな様子ですか。

地域にとけこみにくいということは感じたことないです。我が家がこういう立地条件ということもありますが。
みんな親切なひとですよね。穏やかな感じがします。あと自分が好きなことを追求していることを多くて、自分の生活を大切にしているひとが多いと思います。
支区やぶどう部会(ぶどうの生産者の集まり)などの地域の会議や懇親会に楽しく参加する中で、少しずつ顔見知りができて人脈が広がっていると思います。

柳の木がうちにあるんですけれど、子どものころはクワガタがいるから喜んでいたくらいで、それ以外には使い道ないし、邪魔だからきっちゃおうかななんて思ってました。
ただ、ある日うちに出入りしている植木屋さんが「どんど焼き用にこの柳もらってくけどいいよね?」って言うんです。聞くと、このあたりの人はどんど焼きの繭玉をその柳の枝にさして使ってるらしく、「ああ切っちゃいけないんだ!」なんてそこで初めて知りました(笑)。
村の歴史は詳しく知らなかったのですが、この木が地域の財産になっていることを知ることができました。この土地の歴史が日常の中にひそんでいて面白いなあと思います。

今後はどのようなことやっていきたいと思っていますか。

いずれは、一家でワイナリー経営を目指していければと思います。
そもそもよくその歳でワインを作り出したねと周りからは言われます(笑)。でもやればできるんじゃないのと思っています。そのあたりはあまり気にしていません。
いままで、住宅部分は一般公開などをして多くの皆さんに伝えてきました。しかし蚕室を活用してここから何かを始めようと思えています。文化財というのは今まで伝えるというだけでしたが、ここが「つながる」場所になっていけばいいなと思っています。

移住者の方へメッセージを。

田舎の人は保守的なので溶け込むのが大変という話も聞きますけど、相手も人間。自然体で自己開示を続けていけば、必ず相手に通じ、理解を得られると思います。
おそれずくじけずに進んでいただきたいですね。これは、都会か田舎かを問わない共通の真理だと思います。


hito0104児玉 俊一さん(1951年生まれ)
横浜市から2014年に移住
移住前のお仕事:教育研修サービス
移住後のお仕事:農業(ワインぶどう栽培)

 

インタビュー年月 2015年11月

小池 孝雄 さん

滋野地区にあった古民家を再生して暮らす小池さんご夫婦。
まるで元からそこに住んでいたかのように、地域と深くつながりながら暮らしているお二人にお話を聞きました。

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移住のきっかけは。

元々は長野市出身でしたが、東京で働いていました。 山登りが好きで、東京近郊の山に良く登りにいっていました。
山からおりてきたときの風景を見ると、長野で暮らしてきたときの風景がよみがえってくるんですよね。 そういった体験が、都会での生活を窮屈にしていたと思います。

一番のきっかけは、40歳のころに職場で受けた「後半人生を考える 退職後は地域が大事」というセミナーでした。
50歳になり、具体的に移住を考え始めるようになり、様々な情報誌やインターネットで情報収集を集めたり、 妻とともにふるさとネットワークの現地見学会に参加し、物件を探していました。

東御市を選んだ理由は。

縁のある空き家が東御市にあった、というのが理由です。

たまたま空き家になったままの兄の友人の実家が東御市にあり、「まずはそこに住みながら、移住先を探してみてはどうか?」とアドバイスを受けました。
実際にその古い民家を見るなり、これは借りるより購入して再生して住みたい!と思いました。
それまで、既に県内の飯山市、上田市、軽井沢町、佐久市等を見ていたのですが、雪が少なく太陽に満ちている東御市の気候が気に入っていたこともあり、東御市への移住を決断しました。

購入した家は、本当に朽ち果てる寸前の家だったんです。
構造の部分はやはり不安なので、大工さんにお願いしました。
資金面のこともあり、自分たちで壁を塗ったり、屋根を張り替えたりしました。外の板張りなんかも自分たちでやりましたよ。

52歳で住民票を東御市に移したのですが、私自身、東京での仕事は続けていました。
妻は先にこちらへ生活の拠点を移し、私は60歳のリタイアまでは新幹線での金帰月来でした。
週末のとうみぐらしが楽しみだったので、疲れも感じることなく、とてもメリハリのある8年間でした。
東御市が帰りやすい距離だったこともあります。通勤圏と言ってしまってもいいくらいですね。

地域の方とのつながりは。

来た当初、この家を紹介してくれたのが兄の友人だったこともあり、地域の人を紹介してもらったので、地域のコミュニティへのとけこみがすっとうまくいきました。
今じゃ、誰がどこの息子さんかなんて血のつながりがわかるようになりましたよ(笑)

最初は地域とどう溶け込むか不安なところはやはりあったので、意識的に人を呼ぶようしました。
今日ウチ来てお酒のまない?って地域のみなさんを誘うんです。
この家にあった囲炉裏が本当に効果的だったんです。この囲炉裏のかたちが落ち着くんだと思うんです。
ただいま、って入ってきた人もいますよ(笑)

私は必要以上にいろんな所に顔を出していると思います。
料理をやってみたいと思って、男の料理教室ってところに入ってみたら人間関係がひろがりましたね
絵を描いてみない?って言われて絵を初めてみたり。ほかにも陶芸をやったり、オカリナをやったり、俳句をやったりしています。
こちらの人たちは、新しく入ってきた人に興味を持ってくれるし、気の合う人が声をかけてくれるんですよね。

奥様は先にとうみに来て暮らしていたんですよね。

なみえさん
私は先に来ていたので、時間がありました。
元々着物の着付けをやっていたので、こちらの教室に通いはじめて、今は自分で教室もやっています。

こちらに来る前にやっていたパッチワークも教室に通い始めました。教室に通うことで自分でやる場がもてるんですよね。都会ではできなかったと思います。

まわりの方々はみんな良いひとたちで、よくしてもらっています。
しょうゆたりないとか、さとうたりないとか、助け合ったり。頼まれたら着付けをやってあげたりとか、そんなお付き合いをしています。

移住してきて、感じることはありますか。

都会は便利かもしれません。ちょっと外にでれば、買い物ができるし。でも都会生活って、ガラス細工の上で成り立っている気がすると思うんです。
とうみでくらすということには、殆ど不便とは感じません。
ただ坂が多いので、自転車があまり使えないのが残念。車中心の生活なので、運動不足になっちゃいますね。

何が便利で、何が不便か、自分の頭の中で咀嚼することが大切だと思いました。
文化とか芸術とか、与えられるものっていくらもであると思います。
たとえば、音楽に触れるためには都会だったらコンサートに行きますよね。
ここにいると、自分でオカリナをふいたり、自分で歌を歌ったりすることで音楽に触れることができます。

他にない分、ここでやるということが大切に思えてくるんです。
与えられる文化より、作り上げる文化がとうみにはあるんです。
自分で作り上げる文化があって、そういうことができるのりしろがとうみにはあるんです。

今後やりたいと考えていることは。

東御市にも空き家が多くあるようです。空き家を高齢者のたまり場にできるように、改修できないかと。
サロン的な世間話をできる空間をつくりたいですね。高齢者は閉じこもりがちなので、高齢者を自然と見守ることともできると思います。

考えたり悩んだりしているのは、20代から変わらないと思います。
何か大きな目標をもって実現するって言うわけではなくて、与えられたものを納得しながらやっているんです。

僕が持っている価値観の中で、地域と関わりながら生きていきたいと考えています。


DSC_1497小池 孝雄さん(1951年生まれ)
2003年に神奈川県から移住
移住前のお仕事:地方公務員
移住後のお仕事:農業

山田 顕義 さん

現在は東御市の文化会館で働く傍ら、定住アドバイザーや移住者でつくるネットワーク「とうみよいとこプロジェクト」でも活動する山田さん。
朝起きて、窓から雲海を眺められる生活に感動しているとのことです。

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移住のきっかけは。

仕事の関係でやむを得ず都会で暮らしていましたが、もともと出身が新潟なので都会より田舎が好きでした。
就職した以降も、なぜ理不尽にも住む場所が仕事に振り回されるのか考え続けてきました。
回線と交通アクセスがあれば、日本中どこにいても働けるはずと思ってIT関係の仕事をしていたにも関わらずです。
40代半ばの現役でセミリタイヤを決断し、その悪循環から訣別しようと思いました。

東御市を選んだ理由は。

移住することを考えると、北海道や九州はちょっと遠すぎる。そして、出身地である新潟に近いのが長野でした。

仕事の取引先が上田市にありよく訪れていて、この地域の雨や雪が少なく、湿度が低い気候が気に入っていました。
東京だと、週末どこかに出かけるときに必ず天気予報をチェックしなきゃいけませんよね。
でもこちらだと、調べなくてもたいてい晴れているんですよ。天気の良さは他と比べ物になりません。
冬におひさまが出ているなんて、新潟県出身の私には考えられないことです。

家探しのために毎週末、キャンピングカーでこちらにきて、上田市を中心に物件を探していました。
初めは借家を探していたんですけれど、ワンちゃんがいるなら中古の売買の物件はどうですか?と不動産屋さんに言われていました。
不動産屋さんが「こんなのもありますけど、山奥だしどうですかね…?」なんて言いながら、奥のほうから出してきたのが、今住んでいる物件でした。
景色がすごく良かったこともあり、東御市への移住を決めました。
それまでは、東御市の名前さえ知りませんでした。

東御市に暮らしてみていかがですか。

時間がゆっくりしていて、とても贅沢だなあと感じています。
都会生活からしたら、効率悪いかもしれませんが。

私たちが住んでいる地区は、湯の丸スキー場へ上がっていく途中にある地区です。
雪の量は予想していましたが、スキー場へ続く道はちゃんと除雪車が来ますし、
区で除雪車をもっているので、区内の道路の除雪は問題ありません。

車で10分でおりていけば、スーパーもあります。
インターネットが最大の心配事でした。住んで2年位したら光ファイバーが開通しました。
アマゾンで注文したものだって、翌日に届きますので不便は感じていません。

ただ、人生の最後はここにしようか?っていうときはまたそのとき考えなきゃいけないかな、と思ってはいます。
車に乗れなくなったらどうしよう?とか。
ここは山奥なので、救急車だってすぐには来てもらえないかもしれません。
ただ、都会だって渋滞にはまれば救急車も身動き取れないとは思いますけれど。

人生のステージに応じて、生活する場所を選んでいければいいのかなと思います。
50代~70代の方が住むには、とうみはとてもいい場所だと思います。

コミュニティへの溶け込みはいかがですか。

こちらに来た当初は、サラリーマンとして月曜日から金曜日まで働きに出ていたので、あまり声をかけられることはありませんでした。
3年くらいたって、地区に昔から住んでいる同じ年代の人から消防団に入らない?と声をかけられたのがきっかけで、消防団に入りました。
その方からすると、よそから来た方の声もほしいというところだったようです。そこから地域の様子が分かるようになりました。

もともと別荘地だったこともあり、よそから来た人でもなじみやすい地域だったこともあります。
あとは、犬を飼っていたので犬の散歩のときに、積極的にこちらから声をかけるようにしました。
そうすると、向こうのほうからいろんな地域の情報をくれるようになりました。

現在、定住アドバイザーとして活動していらっしゃいますよね。

やはり、移住してきてくれるひとが増えるといいなと思い、定住アドバイザーとして活動しています。

コミュニティが長く続くためには、やはり人を増やすことが大事だと思います。
目に見えて人が減ってしまうと、不便なことも増えるのではないでしょうか。
若い方々に来てもらうためには、働く場所が不可欠です。
今の状態で働き口をつくるのは難しいと思いますが、人が増えれば働くチャンスが増えると考えています。

定住アドバイザー制度というのは、とても自然なシステムなんです。教わった人がまた次の誰かに教える。
今は受身でいろいろとやっています。
移住成功の秘訣はお答えできないかもしれませんが、移住にまつわる障壁をどのように乗り越えたかはお答えできるのではないかと思い、活動しています。

移住を検討している方へひとことお願いします。

移住するときに、すべてをロスせずに移住することはできません。ロスを覚悟するのが移住です。

日本各地を旅していると、ここ良いな~、住んでみたいな~って思える場所がたくさんあると思うんですけれど、
人生っていうのは、すぐにレールチェンジできません。
そのなかで、自分の人生を自分で選ぶことができるというのは、最高の贅沢だと私は思います。


DSCF0396山田顕義さん
2006年に千葉県から移住
移住前のお仕事:IT系管理職
移住後のお仕事:地場IT企業をへてNPO法人

宮秋 智子 さん

紹介された物件に惚れ込んで、東御市への移住を決めた宮秋さん。
現在は都市との交流団体をたちあげたり、市内のコミュニティFM「エフエムとうみ」でもパーソナリティをつとめるなど、
自分らしいとうみぐらしを送っています。

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ひと・生きもの・暮らし研究所にて。ご主人の道男さんは東京との二地域居住中。

 

東御市への移住のきっかけは。

老後は自然豊かな地方で暮らしたいと考えていました。
東京とも行き来することがあるので、それなら山梨なら近いかな?と思い物件を探していたんですが別荘ばかりでした。
その後、上田市を中心に探していたところ、不動産屋さんが東御市の空き家バンクで扱っていた物件を紹介してくれました。
上田、小諸、佐久は知っていたのですが東御市のことは正直、知りませんでした。
その物件をみるなり「こんなステキなところがあるのか!」と感動し、東御市への移住を決めました。
柴犬4頭と楽しく暮らしています。

東御市に暮らしてみて、いかがですか。

一番感動したのは、文化です。
名も無い人たちが作り上げてきた文化がここにはきちんと残されています。

人からは、そんな田舎にいってつまらないんじゃないの?って言われました。でも全くそんなことはなくて。
東京に負けない美味しいレストランや、サンテラスホール(東御市文化会館)やとなりの上田市にあるサントミューゼ、信州国際音楽村など、身近に文化に触れられることができます。
24時間営業のお店がなくても、生きていけるんですよね。都会にいた頃は、便利かなとおもっていたんですけれど。

長野イコール雪と考える人も多いかもしれませんが、思ったよりも雪は平気です。
朝晩はもちろん寒いですけれど、陽あたりがいいのでお日様が出てくれば暖かく感じます。
ちゃんと冬用の服装をすれば寒くないし、雪が降っても都会みたいに交通機関が麻痺することはありません。
ただ、灯油代はやはりかかります。でも、夏はクーラーが無くても過ごせるのでいいのかな、と。

移住というのは、宮秋さんにとってどんなことでしょうか。

地方で暮らす喜び、というのを改めて感じました。
私自身、仕事等でこれまでずーっと走ってきましたが、ここに移住してきて立ち止まって見えるものがあるということに気付きました。
ある人が、人間の生活には「曲線」をいれなければならないと言っていました。私にとってはその曲線が、東御市から見える山々の曲線だったと思います。山を見ていると、都会生活でたまった澱が浄化されていきました。
とうみでの暮らしが、精神生活を向上させてくれたように思います。

これからやっていきたいことはありますか。

東御の人たちって、地元のことを真剣に考えている魅力的な人が多いんです。
そして、きちんと動こうとしている。
現在、「ひと・生きもの・くらし研究所」という団体を立ち上げて、都市と農村との交流を行っています。
地元の人ともつながりながら、東御の人とルートをつなぐメニューを今後考えていきたいと思っています。


DSC_1588宮秋智子さん
2014年に東京から移住
移住前のお仕事:公務員(図書館)
移住後のお仕事:ドッグトレーナー、ペットシッター、ラジオパーソナリティ

谷口 博 さん

平成16年に東御市に移住してきた谷口博さん。
最高のロケーションである東御市に移住するにあたっては、徹底的に調べたとのことでした。

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東御市への移住のきっかけは。

出身は大阪なのですが、転勤族だったため全国を転々としていました。
42歳のとき、単身赴任で長野に来てそこから3年ほど長野で暮らしていました。
仕事のテリトリーが東信地域だったので、このあたりはうろうろしていたんです。

長野に来る前は、富山県にいました。
北陸地方って、本当に曇りの日が多いんですよね。1年のうち半分くらいは曇りだと思います。あっという間にカビも生えてしまうし。
それに比べてこちらは本当に晴れの日が多い。特に東御市は南斜面が多くて最高のロケーションだなあと思っていました。
定年退職したらこちらに移住しようか、とひとりで考えていました。

その後、名古屋にもいたのですが仕事が超ハードだったし、60歳になってからの方向転換では遅い、早いほうがいいだろうと判断し、
53歳で早期退職し、東御市への移住を決めました。

奥様の久美子さんは、旦那さんの判断に驚かれなかったですか?

久美子さん
もともと、決めるとその通りにするひとだったので、明日仕事やめるからって言われても驚きませんでした(笑)。なので反対はしませんでした。
主人がこちらへ単身赴任してるときに何度か来たことがあったのですが、天気がいいし温泉もまわりに沢山あったので、長野っていいところだなあと思っていました。
富山の家もすぐに売れてしまったこともあり、そこまで大変なこととは思っていなかったです。

単身赴任が多いということは、全国様々な地域を見られてきたということですよね。
それで東御市を選んだのには、どんな理由があったんですか?

単身赴任や長期出張が多いと、生活に根ざした情報がわかるんですよね。
それも踏まえて東御市は住みやすいとは思っていたんですが、移住を決める際には日照時間や降水量、自然災害などの情報から固定資産税の相場など、近隣市町村と比較してかなり調べました。
今の時代、インターネットでかなりのレベルまで調べられますからね。
それらを検討したうえで、東御市は穴場だと思い、選ぶに至りました。

移住先を検討するにあたり、アドバイスはありますか?

まずは自分の中で条件を決めておくことだと思います。
例えば自分が望む生活に必要な生活インフラが整っているか、一軒家を建てるなら坪単価の予算はどれくらいか。
そしてその条件を満たすようなところを探す、というやり方がいいと思います。
環境は変えられませんから、ある程度調べておくことが大事です。何かちょっと予想外なことがあっても、自分が変われば対応できることもありますしね。

そして、コストを考える。イニシャルコストと、ランニングコストです。
私は早期退職したので、退職金と今後の年金がどれくらいもらえるかを計算し、生活基盤を整えるにはどのくらいの費用がかかるか。
そしてその生活を送れる場所が、移住を検討している場所にあてはまるかどうか見極める必要があります。

実際に東御に暮らしてみて、いかがですか?

住みやすいし、とても便利だと思います。この生活を味わったら、都会には帰れないと思います。
生活のテンポがこれまで速かったひとが、遅くなることはまったく問題ないと思いました。逆は大変だと思いますが。

東御市がいいのは、コンパクトなところ。24時間生活するうえで、必要なものが必要なだけ過不足なくそろっています。
医療面でも、拠点病院が近隣の上田市や小諸市、佐久市にあるんですが、こんなにはしからはしまで医療のインフラが整っているのは素晴らしいと思います。

都会って、選択肢が多くて自分で選ぶような生活をしているようにみえますが、実は選ばされていたんじゃないかなって思います。
何か余白がないと、他のことって考えられないはずですから。

もう東御市に移住してきて12年になりますが、いまでも東御市を良いといえる理由はどんなところでしょうか。

理由は3つあると思います。

ひとつめは、やはり人生が180℃変わったことですね。
これまではいわゆる企業戦士だったのですが、今は巨峰の栽培をしています。自然と触れ合っていることでライフスタイルも自然になったように思います。

ふたつめは、地域との関わり合いが良いことですね。
こちらに来た当初はなかなかあいさつなどしてもらえませんでしたが、あるとき輪番でまわってきた組長をやったことから、地区の公民館長をやったり、高齢者クラブの会長をやるようになりました。
それから、地域の人たちと親近感や仲間感ができ、価値観を共有できるようになりました。自分さえ入っていこうとすれば、入っていけるのが東御市なんだと思います。

さいごは、現在、地域でのボランティアをやってるのですが、それによって地域の課題が見えるようになってきたことですね。

一貫して思うのは、移住してきて生活が変わったとしても、これまでの生活は何もムダになっていないということです。
企業戦士としての経験は、たとえば地域での話し合いがあって話をまとめなければならないときに、その方向性をリードできるというスキルに結びついています。
グローカルでありたいんです。地方に来たからと言って、地方だけのことを考えるのではなくて、都会の情報も収集できればいいなあと思います。
逆に都会にいたら、視野が狭かったかもしれません。

今後、やっていきたいと思うことはありますか。

現在、移住者の方があつまる団体「とうみよいとこプロジェクト」に参加しているのですが、
この団体が開催するイベントとして移住して間もない方が気軽に集まれるサロンができたらいいなあと思っています。
移住してきて間もない方の中には、なかなか地域にとけこむことができなかったり分からないことが多いって言う人もいると思います。
そんな方が気軽に集まれる場所を作りたいなと思っています。

DSC_0005谷口 博さん
2004年に富山県から移住
移住前のお仕事:会社員(電算機保守技術)

 

 

 

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